一月三舟
世の中、いろんな事があり、いろんな見方がある。いろんな人間もいる。豊川市議会議員:倉橋英樹のblogです。
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東京都知事選挙に思う、SNSで気を付けたいこと。
 2016年東京都知事選挙が終わりました。

 ある意味、分裂選挙であるにも拘らず増田候補があそこまで得票できてしまう自民党の底力を感じさせられる選挙であり、鳥越氏の惨敗からは野党の力の無さが浮き彫りになった選挙でもありました。

 当選した小池氏には、選挙戦で訴えていた通り、「都政の透明化」「オリンピックの予算見直し」「LED化推進等による脱原発」などを進めていって欲しい。

 さて、SNSで最近気を付けたいと思っている事があります。
 
フェイスブックなど顔の見えるSNSでは、日本人の心優しい配慮から「周りの異論」に気づけなくなるということです。

 友人の投稿に「異論をはさむ」のは勇気の要ることです。
 また、「異論」を言ってしまった後に集中砲火を浴びる可能性もあり、その労力を思うと更に腰も引けるでしょう。

 特に、政治関係になると「この人を当選させる」という目的が出来てしまって、何を言っても馬耳東風という状態になってしまう事もあるだろう。
 中には「都合のいい情報(嘘を含む)は真実で、都合の悪い情報は無かったことにする」かのような人もいる。
 (選挙応援者としては優秀でも、政治的に正しいことかは非常に疑問です)

 これでは、異論を伝える「意義」も無くなり、結果その人の周りは「同じ主張ばかり」になって、余計に視野が狭ばり現実が見られなくなっていく

 当たり前のことですが、友達関係も「見ていて気持ちいい」投稿をする人たちに偏ってしまいがちになります。

 幸い私の友達には、いろんな主張をされる人がいてくれる。
 それでも、私の投稿に必ずしも同意しないけど黙っててくれる人もいると思う。

 たまに、私の投稿への返信が好意的なものばかりで「すごいね。みんな応援してくれてるね」と言ってくれる人もいる。
 けれど、やはり表には出てこない「異論の存在」を常に意識しておかなくてはならない。

 SNSは人と人との距離を縮め、とても有意義なものです。しかし・・・
 その弊害を特に政治家は気を付けていかないといけない。

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| 2016/08/01(Mon)15:00 |
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誤診と名医と自分
冲中重雄という、大変著名な名医がいた。
東京大学の名誉教授で、勲一等瑞宝章を受章したような人(故人)です。

そんな名医が最後の講義で「私の誤診率は14%」と語った。

医療関係者たちは驚いた →「そんなに少ないのか!」
僕たち一般人はこう思った→
「そんなに多いのか!」

後医は名医とも言う。
最初の診断から、時間の経過で実際は・・・ということは医療としては当たり前の話だそうだ。

あるお医者様に問合せ、お聞きした言葉をそのまま紹介します。
 「風邪は万病の元」という言葉があります。
 これは、「風邪」から色々な病気に発展して いくということではなく、病気の始めには、風邪と同じような症状を呈することがあるという話です。

 診断には、経過をみることも必要です。
 具合が悪いから病院に行ったけども当日・・・診断書が欲しいと言われれば、とりあえず、「風邪」「過労」とか、何らかの病名を付けなければならないかもしれません。
 結果、違 う病気だったということになれば・・・それを「誤診」と言われることもあるでしょう。


「誤診」という言葉は、患者側と医師ではその定義や印象が全く違ってくる。
僕らはお医者さんが何でも病気をすぐに見通せるスーパーマンだと勘違い(期待)していないか。

勝手に期待して、怒るのはちょっと違う気がしてくる。

体調の経過報告やセカンドオピニオンなど、患者側も自分の体を自分の目と体感で、お医者さんと共に診ていくべきなんだろう。

また、明日行う私の一般質問でも少し触れる予定ですが・・・
以前から言われてたりもするけれど、日本の医師の勤務実態などは非常に厳しい部分もある。

人間、過労状態で良い仕事を続けるのは難しいだろう。
当然、医師の過労は自分たち患者になる側の不利益となってくるでしょう。

民間療法や過度な医療依存があればその是正など、根本的なところを市民国民が自分のこととして考えていかなくてはならないのではないか。

参考リンク
酷使される勤務医の実態~

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| 2014/09/01(Mon)23:05 |
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憲法、集団的自衛権、国防について
 活動報告紙13解釈改憲に対する討論である程度私の考えは公表させて頂いていますが、若干説明不足の感もあるので、補足を兼ねて書き残しておきます。

【基本認識】憲法9条には、自衛権・自衛隊保有の権利がある。
 よく共産党などが、「自衛隊は違憲だ」と言います。
 よく右派も、「9条に自衛隊を明記しないと!」みたいなことを言います。

 しかし、以下の憲法制定の経緯から自衛隊は、合憲だと考えられます。 

 ①マッカーサー元帥の当初案 

日本は紛争解決の手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や成果を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
*解釈
赤字部分に注目すると、【戦争】には侵略戦争と自衛戦争の二種類の戦争がある事を示して、両方とも放棄させようとしています。

  ②ケーディス民政局次長の修正

 「自衛戦争の放棄は非現実的」として、マッカーサー原案の【自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する】という文言を削除しました。

 そこで、現行憲法をおさらいします。
憲法第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 赤字部分を、重ねて読んでみてください。
 国際紛争を解決する手段としては、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」となります。
 =自衛の為の戦力は、保持しても良いという事です。

 結論として、どこまでが自衛戦力かという議論の余地はあるものの、憲法9条においても「自衛隊の存在は合憲」であると理解できます。
           

【この国の国防問題】
 上記のように、この国には自衛権も自衛の為の武力行使も認められています。
 しかし、この国は尖閣諸島・竹島などの領土領海の侵害に対して、自衛権を発動していません。

 そしてなぜか、集団的自衛権があればどうにかなるとでも政府は錯覚しているかのようです。
 集団的自衛権の行使とは、その相手国に対する宣戦布告です。どれだけの人が想像できているでしょうか。

 自衛権を発動できない尖閣諸島・竹島での自省的(臆病?)な態度から、どうして集団的自衛権の発動=宣戦布告が出来るのか。
 小手先の解釈変更では、何の解決にもなっていないのです。

 一方で、念仏を唱えるが如くの護憲派にも辟易してしまいます。
 彼らは、他国からの侵略に対して何の解決策も示さないからです。

 改憲・護憲共に、目の前にある問題の解決策を、或いは妥協策を国民の前で議論すべきです。
 そして、国民の覚悟(或いは妥協)と共に、この国の目指すべき国の姿を憲法として示すべきです(勿論、結果的に改憲せずの答えだっていい)。

~因みに、私ならこんな9条(改憲)を提案するよ~

・国民及び国土領海領空を守るため以外に自衛権の発動はしない。また、必要以上の戦力も保持しない。
・他国間の国際紛争に対しては中立を維持し、国際平和協力活動においても人道的見地に立った行動を旨とする。


【追記】
 なお、「集団的自衛権がないと中国が攻めてきたとき、助けてくれない」という人がいるかもしれない。
 しかし、いま南沙諸島侵略中の中国を誰も攻撃しないように、元から他力本願など期待できない夢想であると言えます。

 自分たちの国を、どう自分たちで守るかが解釈改憲なんかよりもずっと必要な議論であるはずです。


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| 2014/07/13(Sun)21:11 |
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映画「立候補」のDVDを見た。
映画「立候補」のDVDを見ました。
選挙ドキュメンタリーで、映像の大半はマック赤坂氏の話です。

マック氏と言えば、奇抜な政見放送で有名です。



さて、真面目な有権者様には「何でこんな人を紹介するの?」と言われるやもしれません。
でも私は、無関心な人たちの中で一人でも、政治への接点に繋がるのなら彼のやってる事は無駄ではないと、思っています。
(彼の真面目な政策論も聞いた事があります)

そして、タイトルの映画を知り、改めて彼の選挙を見てみようと思い、購入しました。

(ここからネタバレ注意です!)

映画では、マック赤坂氏の図々しい選挙活動に少し辟易させられましたが・・・
思ってた通り「悪ふざけ」だけではない彼の「信念」の末端も垣間見れました。

立候補時、選挙管理委員長に対して…
「同じ供託金300万を払って、(7人立候補して)3人しか報道しない」

「マスコミは公器ではないのか」
「選挙管理委員会は、これをどう思う(公平な選挙の管理をする)のか」

立候補記者会見では…
「メディアは批判的な事を書く。それは国民がネガティブだから、そんな記事が売れるんだ。(国民よ)ポジティブになるべきだ

真面目に演説していて…
「こいつら、俺が踊ってないと話を聞かないんだよ。。。(馬鹿な事をやる真意が示されています)」

父の選挙に非協力的な息子が一度だけ、手伝いに行った。
聴衆に散々罵倒される父を見た息子は・・・
「お前ら、集団だから言えるんだろ」
「お前に、一人で戦う勇気はあるのか!?」


それを見たマック赤坂氏は・・・
「あっはっはっは!(笑って息子をなだめる、気にするなと)」
「これだから、人生は面白い」
(何だか、ほっこりしますね)

他にも、やる気があっても戦い方が分からない候補が、延々と「こんにちは!」と挨拶する画面は、痛々しく滑稽にも見える。
それは、私が選挙中に駅前で挨拶していたの(実に見世物的な恥ずかしい姿)と重なった。

どんな候補であれ、立候補する人をあたまからバカにしないで欲しい。
いや、バカにしても良いんだけど、その人の考えを聞いてからでも遅くはない。


表に出ている「バカさ」は、短い時間の中で行われる対機説法の入り口やもしれませんよ。

人は見かけじゃわからない。

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| 2014/06/02(Mon)21:21 |
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「死」の意味と般若心経~すべては考え方次第~
(今回は、哲学っぽい記事です。お葬式に出ることも増えたので、思う事を書きます。)

私が、私らしく政治活動をしているとよく聞かれることがある。
そして、一様に同じ反応をされる。

先日も「何故、そこまで達観しているのか?」「何が動かすんだ?」と聞かれた。
自分としては分からないが、どういう人生を歩んで来たかを話す。

そして、いつもすぐに「それでか!」と納得されるのだ。
曰く、私が物心つく前に父親を失くしているからだという。

良く考えたことはないが、そうかもしれない。
「父親はいないもの」、人とは違う環境に置かれ、価値観もずれていった。

よく家族構成を聞かれ「父親は死別している」と答えると、質問した人から「ごめん」と返された。
「ごめん」と言われるほどの事ではなく、自然な事で大したことないのに、と毎回思った。

そう、「死」は自然の事である。

ともすれば、他者の「死」は、任せきりであった仕事をまわりに強制する。
まわりの人が、大きく育つ瞬間ではないか。

全ての事象に意味があり、幸も不幸も受け取り方次第だ。
自らの死ですら多少なりとも意味があれば、有難たいものである。
(まだそこまで成長できていないから、生かされているのだろうか)

「死」をもって、後進の成長を促す。
「死」をもって、色即是空(未来永劫、不変なものはない)を教える。


死んで仏になると言うが、まさに人の生き方を教えてくれるのである。
(肩書や地位、物質に固執するな、と。)

本来、お経は故人に向けるものではない。
生きている我々がその意味を理解せよ、というものである。

私は父親に、今の自分があることを持って感謝する。
父親の横死に、意味を持たせることが出来るのは私自身だ。

これからも、私は私らしく活動する。
(みんなも、シガラミ囚われずに自分らしく生きられたらイイネ!)


・・・と、私の拙い言葉では伝わらないな、と今さら気付きました。

下記ブログをご覧ください(他力本願!)。
般若心経 現代語訳の紹介が有ります。
 ↓↓

般若心経ロックに付けられてた現代語訳が格好良すぎて泣いた

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| 2014/05/19(Mon)22:03 |
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